おりじゅのブログ

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末弘厳太郎 『法学入門』を読んで。

今日読んだ本は『法学入門』(日本評論社)という本。

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昔の専門書なのか、表紙に題名はない・・・

 

新装版 法学入門

新装版 法学入門

 

 

この本が書かれたのは察するに、昭和9年。今と比べて憲法から何まで全く同じ背景ではありませんが内容の理解には差し支えありませんでした。

そんなわけで、僕なりにでもわかったことをここにまとめておきたいと思います。箇条書きでその章のポイント、括弧で僕の感想・注釈を書いておきます。

この本の章立ては順に、法の教授法と学習法、法律とは、社会と国家の法律、法の解釈・適用、判例について、法律書の選び方と読み方、というふうになっています。

 

※とにかくこの本は筆致が余りにも素晴らしすぎるので、既にいささか僕の力不足を書き始める時点で感じていることをここに告白しておきます。

 

第1章:

  • 特に学生に対する訴えとしては、法の条文よりも法の考えを身につけろという点

 

  • 大学は研究機関としては優れているが、教育機関としては未熟である(これは今でもいえると思う)

第2章:

  • 社会たる以上そこには必ず基本的な統制力が存在する。そうしてその統制力が遵守を強要している規範が即ち法律である。

第3章:

  • これまでとある社会に存在していた慣習法(社会の法律)は時に国家法(国家の法律)と規範が対立するときがあるが、その対立をどう解消すべきか。

  • 例えば、村八分がその地域の社会の法律で認められているとしよう。そしてその際に村八分の被害者が訴えたとき、国家の法律である名誉毀損罪と社会の法律は対立することになるのでは?

  • このような例のとき、裁判所(司法)は慣習法をどう捉えるべきなのか。
  • 国家は法という関門を設置して、その法に従わぬ事例や人々には保護をしないことで、国家が定める理想に遵守させようとする。
  • 本音と建て前がなぜ社会では生まれるのか?(大分意訳してはいますが要するにこういうことです)

第4章:

  • Aは人を殺した=>殺人を犯したものは死刑に処す=>従ってAは死刑である。(ただし、このとき殺人行為だけを事実として他から切り離してはならない。)
  • 法律の解釈は結局のところ裁判官の判断の合理性に委ねられている。

  • 合理性があるのならば、法律を解釈して事実上法を作っても良いのではないだろうか。

  • ただし、仮にこれと類似した事件が起こったとき、裁判官はこの判決で用いた解釈をその判決にも当てはめなければならない。

第5章:

  • 法律の解釈は背景となった事実によって微妙に変化してくる。
  • 判例集の中から前例を見つけて当時の裁判官の心理を分析することで、今行われている裁判での法律の解釈をどの程度変化させられるべきかを判断できるし、同じ法律を使った類似事件でなぜ矛盾する判決が出るのかもわかる。

第6章:

  • 良い法律書とは、その著者自身が自分の考えのみで書いている本である。それ故に話の前後に矛盾がない本である。
  • 本を読む心構えとして、本は最初から最後まで通読すること。そうすれば、慎重に本を選択する癖が付く。

  • 何故ある事柄について学説が分かれているのかを考えよう。

あとがき(ただし、著者とは別の方が書いている)

”本書が今にして生き生きとした訴えを響かせていることは,日本社会がまだ先生の市民的精神に溶け入っていない証拠かもしれない。”(これはこの本に限ったことではないよね。)

 

結論:

文句なしの良書だと思います。100点で言うなら、95点でしょうか。時代と文の字体古風で読みづらいことが減点要因でしょうか。ですが、ここまで優れた文章はそうそう見ませんし、時間がとれるのなら読んでおいて損はない本だと思いました。

 

それでは今日はこの辺で。

 

翌日の投稿:

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昨日の投稿:

hanoian.hatenablog.com