おりじゅのブログ

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E・H・カー 『危機の二十年』を読んで(2/4)

3週間ぶりに読書の続きです。そろそろ読書のほうもペースを上げていきます。今回は前回の続きです。

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危機の二十年――理想と現実 (岩波文庫)

危機の二十年――理想と現実 (岩波文庫)

 

 なお、この本は5つの部分(そのうち1部は結論)からなっていたため、ブックレビューを5パートから4パートへと短縮することにしました。従って今回は第2部(4章~6章)の内容紹介とそれに関する内容となります。

 

内容&感想

 4章から6章にかけてキーポイントになると思ったものは、ユートピアニズムにおける利益調和説でした。この説を簡単に言うと、個人の利益の追求が共同体の利益につながり、また共同体の利益も個人の利益と一致するというものです。この考え方はアダム・スミスの代表的著作である『国富論』の自由放任主義に通じるものと思われます。利益調和説は政治の領域においても唱えられました。すなわち、平和というのはどの国家においても共通の利益であり、戦争から得られる利益はなく、戦争という行為には理性や動議はないという主張です。

 

 ただ、このような利益調和説に基づく経済・政治についての主張は反論点もあり、そしてこのような主張には唱えるものの本音も見えていると筆者は書いています。まず、経済における反論としては、利益を得られているものは競争に勝ち残ったものだけであるという反論です。事実、自由貿易といった自由放任による貿易は、イギリスの産業(当時)に対してはメリットがありましたが、ドイツやアメリカにはむしろデメリットでしかありませんでした。独や米国はむしろ保護貿易のほうが自国の発展を促すことができるのです。

 次に政治における反論としては、先の大戦(この本では第一次世界大戦)において利益を得た国があったことが挙げられます。実際、チェコ=スロバキアは世界大戦によって自分の国を他国の侵略から防ぐことができ、フランスはドイツとの係争地であったアルザス・ロレーヌという地域を奪還することができたのです。

 

 このような反論から著者は利益調和説について次のように結論づけました(p.191):

理想は、それがひとたび制度に具体化されると、もはや理想ではなくなり、単に私利を表出したもの・・・にすぎなくなる。

 確かに大国によって提案されるものには建て前の裏に自国の利益が隠されていることがしばしばあります。国際的に強い立場にいる国がどういう事情からそのような主張をしているのか、それを見極める力は現代においても必要だと改めて感じました。

 

さいごに

本当は反論と結論の間にユートピアニズムを攻撃するリアリズムに対する反論も述べられていましたが、尺の都合により割愛させていただきました。興味がわいたらぜひご自分の目で確かめられてください。

 

それでは。

 

翌日の投稿:

 

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