おりじゅのブログ

1日1投稿を目安にブログをやっています。ページ右部にカテゴリがあるので気になる方はそちらもどうぞ!

旧海軍司令部壕を訪問してきました(沖縄旅行⑤)

関連する前回の投稿:

 

 

車を借りたら早速一つ目の目的地である海軍司令部壕に行きました。市街地に位置しつつも、車でないとアクセスしにくい場所なので2日目の訪問地に設定していました。

 

こちらの施設は日本軍が米軍と戦うために掘った壕を活用して、当時の沖縄戦の様子を今日まで伝えてくれています。司令部壕に入る前に資料展示を見ることができ、沖縄で戦闘があったことしか知らない人でも気軽に施設見学に行くことができます。但し、それなりの心持ちで訪問された方が良いでしょう・・・。

 

司令部壕があった山の上には戦没者の慰霊碑が建っています。かの有名な戦艦大和の名も刻まれていました。

f:id:hanoian:20191028225124j:plain

海軍戦没者の慰霊碑

入館時間は8時30分から。開館時間ほぼジャストに到着したのでほぼ誰もいない空間で史料館の資料を見ることが出来ます。そして、当時の状況を頭に思い浮かべた状態で司令部壕があった洞窟へと足を踏み入れていきます。後からつくられたであろう下の写真のトンネルには幅・高さともに余裕がありますが、司令部壕の内部は必要最低限の高さしか天井の高さがありません。

f:id:hanoian:20191028225229j:plain

 

下の写真は沖縄戦の際に実際に作戦会議が行われていた部屋です。白色の漆喰もコンクリートでできた壁も当時のまま保存されています。武器も食料も不足し、海路も米軍に封鎖されて援助も見込めなかった状況で、どのような作戦を立てていたのでしょうか・・・?(食料は残り1月分しかなく、銃器は足りなかったので竹槍さえ使用していたくらいです。)

f:id:hanoian:20191028225417j:plain

 

そして、こちらは洞窟の入口。米軍と戦う旧日本兵は、皆この入口から外に出て行ったそうな。戻ってくる兵士がほとんどいなかったことは言うまでもありません。

f:id:hanoian:20191028225634j:plain

 

洞窟の中には幕僚や司令官が自決した部屋、負傷した兵士たちが連れ込まれた医療室なども展示されていましたが、それらの写真撮影は不適当だと考え撮影を自粛させていただきました。

 

さいごに

沖縄のダークな部分を見てきましたが、このあとは沖縄の明るい部分(?)を見に行くことにします。

 

それでは。