『オーウェル評論集』を読んで(その2)
これは2週間ほど前に読んだ本の続きです。背景知識がかなり必要でここでは説明がしきれない一部の章を除いて、自分の感想などを書いていこうかと思います。
ちなみに前回の感想はこちらから:
思いつくままに (As I Please, 1944)
この章はいわば歴史の決定について関するチャプターでした。戦争や対立によって自分たちが掲げたり主張したりする記録が違うことはよくある話。その中で少し気になったフレーズがありました。
”最終的にどちらが歴史書に入ることになるかを決めるのは、証拠調べよりも戦場だろう”
そんな事実はなかったのに嘘を主張する集団がトップになると嘘が事実となってしまう。あれれ?これはなんだかフェイクニュースと非常に似ている構造ですね。
やはり結局は勝利した者だけが歴史を決定できてしまう。この章はそんな一種の教訓のようなものでした。
英国におけるユダヤ人差別 (Antisemitism in Britain, 1945)
この話は第二次世界大戦中のイギリス内でのユダヤ人に関する話。というのもイギリスには移住してきた人、ドイツから逃げてきた人など何万人ものユダヤ人がいて、その土地由来の人間にとっては気にくわないと感じる者がいたのも事実です。
この章の中で興味深い指摘がいくつかありました:
- なぜ人々はユダヤ人に関する本当と思えないようなうわさ話を信じるのか?
- ユダヤ人差別があることは認めつつも、自分はその一人ではないと主張したがる人々がいる。そして彼らは自分にはそんな差別感情があると認めるのが怖いと感じている。
- 元々からユダヤ人が嫌いだったのではなく、ある事実をもとに嫌いになったという人が多い。
- なぜこんな差別的信念・思想が自分や世間の心を捉えるのか考えてみよう。
たしかに作者は英国人で、僕を含め日本に住む人々にはユダヤ人差別について親近感を持てないところがあるかもしれません。しかし、この「ユダヤ人」を例えば「中国人」や「韓国・朝鮮人」、または「在日○○人」としたらどうでしょうか?
いまでもどこか箇条書きの点に共感する日本の人がいるのではないでしょうか?
この章はそんなことを感じる章でした。
さいごに
この本の感想はこれでその2となってしまいました。本自体がいくつかのチャプターに分かれているため、一つにまとめることができませんでした。ちなみにこの本の感想は、ボリューム的に書けてあと一つがやっとといったところですかね。
それでは今日はこの辺で。
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