おりじゅのブログ

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杉田 敦 『政治的思考』を読んで

はじめに

今日は久しぶりに読んだ本について書こうと思う。なぜ五日間もかかったのか。それはどんな感じでまとめようか迷いながら読んだからである。精読をしようとすれば1日で読み切るのは大学の講義の兼ね合いもあって不可能。かといって斜め読みを心機一転して始めるのもどうかという迷いがあった。

 

で、結論どうしたのか。結局ぼくは本の論点を中心にをまとめることにした。

本題

今日読んだ本は『政治的思考』という本(岩波新書)。

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政治的思考 (岩波新書)

政治的思考 (岩波新書)

 

 では論点を見てみよう。

 

第一章「決定」:

  • 決めるということは端的に言えば結局他の選択肢を全て捨てることではないのか。
  • 決定する内容自体は総じて問題となっている点である。
  • (現状維持に努める人は問題にしようとしなければよい。)
  • 決定のタイミングは討論との兼ね合い。長期的、巨大な決定には将来のことを視野に入れねばならず、慎重にならざるを得ない(もしくはそもそもそのような決断をしない)
  • どう決めるのか。これは総じて民主的な決定プロセスを取る。
  • ではなぜ民主的なプロセスが良いとされるのか。民主的な決定には自分たちのことは自分たちで決めたいという願望と、独断よりも幾分納得できる力を持っているからだ。
  • だが、逆に民主的だからこそ決められないという可能性も否定できない。実際その反動として、民主的決定プロセスの中にも強いリーダーシップや素早い決断を求めようとする動きが出てくる。

第二章「代表」:

  • AさんとBさんが選挙で争っていて、Aさんが僅差で勝ったとする。このとき、AさんはBさんの支持者の代表になることはできるのか。
  • そもそもなぜ政治に代表は必要なのか。医者・看護師のように専門家としての政治家がいてもよいうのではないか。
  • 医学にはおおよそ正解があるが、政治にこたえはない。だからこそ、専門家に頼らず、みんなで考えていく必要がある。その点で政治の専門家は不必要。
  • 代表制なのに全ての決定が直接投票でないのはなぜか。
  • 民意は曖昧な物である。直接投票は問題が表面化している点については議論が活発化するという効果をもたらすが、それ以外の点では微妙。

第三章「討議」

  • 抽象的な政治議論に過度な正しさを追求していくのは危険。この流れはやはり、絶対的な正しさを持つ人物を探すことになるため。
  • あくまで「自由」「平等」を基準に議論を進めていくべき
  • 具体的な政治議論にはどうすれば良いのか。例えば利益政治、ある迷惑施設を受け入れることで自治体に経済的利益が得られる。どうするべきか。
  • この利益政治に対しては短期的判断が下されることが多いので、後世の人々や少数的立場の人のことを考ると好ましくない。(倫理面、正しさ)
  • 正しさを過度に求めるのも、無いと見なすのもよくない。ほどほどが大切。

第四章「権力」

  • 権力とは人に言うことをきかせる力である。権力と言われれば国家権力をイメージすることが多いだろう。
  • ではなぜ私たちはこの権力を横暴や略奪と考えず、妥当な物と捉えるのか。それは私たちの側が部分的に権力を認めて受け入れているからだ。
  • 例えば社会主義では強大な暴力装置が存在していたが、あれは長持ちしなかった。なぜなら人々はそれを受け入れなかったからだ。
  • 国家権力を危険な物であるとして権力の個々人への干渉を防ぐという主張はあるが、もし権力を最小化・ゼロにしたら国家は私たちの生存権を保証しなくなる。極端な主張をする人はそれでもいいのだろうか。
  • すなわち権力には保護する・危害を加えるという二面性があるのではないか。
  • 権力が地域ごとの教育に干渉することは、その国の「群れ」の一部となり孤独にならないための手助けをしているのではないか。
  • 権力が感染症の罹患者を本人の意思無く隔離するのは、その地域の公衆衛生を維持するためではないのか。
  • 権力関係の結論として、私たちは権力に対してバランスシートのような物を頭の中でつけているのではないか。赤字になれば権力に抵抗し、黒字のままであれば抵抗しないというように。
  • なお、権力を誰が持っているのか、ということは民主政治では曖昧になりやすい。王がいる時代であれば、何かの間違いがあれば王に責任を追及できた。しかし現在の制度では一体誰が悪かったのかということについてうまく解明することができない。
  • (目に見えない物としては)市場の権力というものもある。私たちは選択する商品の数、価格帯、そして働いて得られる賃金に不本意な強制を迫られているはずだ。

第五章「自由」

  • 自由とは簡単に言うと何にも縛られないことである。が、それは可能か。
  • 例えば私たちは社会のルール以外にも、経済的社会的地位や家族のつながりに縛られ、自立していないのではないか。
  • 市民社会を重視する人々によく見られる傾向として、国家の体制を批判できても市場の体制を批判できないでいるということがある。このように我々は自立する市民を目指そうとしても完全な意味で解き放たれることはないのだ。
  • さらにいえば、貧困の状況にある人も自由を達成することができるのか。やはり社会が平等にならないと全ての人が自由になることはできないのではないだろうか。
  • 自由に関して私たちが求めていくべきことは、より自由の方向を向いた決定ではないだろうか。例えば自由な選挙で抑圧的な政治リーダーを選ぶのは間違い、というふうに。

第六章「社会」

  • 社会はどこからどこまでがそれに当たるのか。どこからどこまでの人々を囲むべきなのか。
  • 特に、この課題はグローバル化の世界では特筆すべき課題である。
  • 例えば仮に自国とよそで社会を区切ると、よその国は知りませんということになり、問題である。
  • 特徴として、一回境界線を作ると、よそのことが覆い隠されてしまうのだ。

第七章「限界」

  • 政治から私たちは逃げられない。
  • メディアも教育も、科学研究も、官僚も政治の干渉を受けざるを得ないでいる。
  • 司法も政治に手出しされないでいることはできない。最高裁でさえも現在の政治に否定的な価値判断を下していない。(選挙の「違憲状態」が典型例。)
  • 歯止めをかけるシステムや私たちが監視を怠らないことが重要なのである。

第八章「距離」

  • 政治を考える上で私たちは政治とどう距離を取るべきか。
  • (=>)一度間隔をとって政治を考えてみよう。外部からみて今の政治はどうなのだろうか。
  • 政治は複雑で不透明な物であることを忘れないようにしよう。

結論:法学部なら買うべき1冊

100点中95点というところだろうか。もっと内容(本の量)があっても良いと思った。今は図書館から借りているだけだが、今度また読もうと思ったときに読めるよう、金銭的に余裕があるときに買うことにしようと思う。

 

それでは。

翌日の投稿:

hanoian.hatenablog.com

 

昨日の投稿:

hanoian.hatenablog.com