再び鈍行に揺られながら東のほうを目指していきます。
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吉田松陰についてもっと関心を寄せていたら、もう少し停車時間を取ってこの歴史館にも立ち寄っていたのでしょう。
吉田松陰の旧宅や松下村塾は松陰神社と一体となって、一つのエリアにまとめられています。明治維新のきっかけを生みだした重要な拠点として、お偉いさんが神社にしてしまったのでしょうか(後日調べたところ、こちらの神社と世田谷にある同じ名前の神社は明治時代に創建されたようです)。
学問の世界では神格化されているようで。
神社はありましたが、後日もっと大きな神社を訪問するので参拝はしないことに。まあ、僕は御朱印を集めたり、積極的に参拝に行くような人間ではないですから。
東萩駅に戻ったのは列車の出発2分前で少し焦りました。行程が2時間近くずれ込むところでした。
益田で浜田行きに乗り換えます。違いはボックスシートが着いているかどうかくらいでした。気のせいかもしれませんが、下関からずっと馴染みの顔の人がいたような気がしました。青春18切符期間中ですので、同業者は一定数いるのかもしれませんね笑。
さいごに
このときの気分はまだ全然帰省している感じがしませんでした。
それでは。