ベルリン北部のザクセンハウゼン強制収容所を訪問しました(旅行10日目①)
旅行10日目にしてドイツを出国することになるのですが、その前に少し訪問したいところがあるのでまずはこちらのレギオナル・バーンに乗車します。
スーツケースを持っていたため、相席になりにくい一等車に着席します。
途中駅でベトナム人の観光客7、8人が一等車に乗車してきたので車内のムードは一気にアジアっぽい雰囲気に。。。夏休みにハノイに行っていたのでベトナム語を聞くのが少し懐かしいです。
運転席の入り口ががら空きだったのですが、セキュリティー的に大丈夫なのでしょうか?
下車した駅はザクセンハウゼンという無人駅。気温が2度で、しかも風がビュービュー吹いていたのでタクシーを呼ぼうと思いましたが、タクシーが全くいません笑。しかたなく2キロほどスーツケースを引きずって歩いて行くことにしました。
建物の大半は取り壊されているものの、外壁やいくつかの建物が残っています。入場料はテロのトポグラフィー(昨日訪問)と同じく無料でした。(観光施設でないとはいえ、施設を維持するための最低限の料金は取っても良いのではないかと考えてしまいます。)
さっそく収容所の正門から中に入ります。僕の先を行く団体さんにはガイドがついていたので横聞きしようと思いましたが、フランス語による解説だったので断念。
ここにもこのフレーズが入り口にありましたか・・・
塀の外と中とでは雰囲気が全く違います。
鉄条網などは当時のものでしょうか?
下の写真は収容者を寝泊まりさせていた小屋です。三段ベッドの割に一段一段がそれなりに高さがあります。とはいえ、おそらくマットレスなんてものは収容者には配布されなかったでしょう・・・。
手洗い場もその用途のためだけに設計されている、という感じです。
このようなバラック小屋の大半は解体されていますが、バラック小屋があった場所は四角で囲って示されています。
少なくとも30近くのバラック小屋が解体されてしまっていますが、仮に全てのバラック小屋が残っていたとしたら収容所の雰囲気はさらに重々しいものになっていたでしょう。
収容所中央には大きなモニュメントが。
収容所の建物の一部(収容者のための食事を作る場所)の地下には資料の展示をしている場所がありました。こちらの囚人服は国旗を見るに、チェコスロバキア人(当時)の囚人服だったのでしょう。
この収容所は人体実験を行う場所としても使用されていました。そして実験を行う場所に隣接するように、死んだ人のための火葬場がありました(意味深)。
撮影をするのを忘れていましたが、収容所内にはガス室もあったそうな。
さいごに
思ったより精神的なダメージを受けました。正直言って、あんまりカメラを使う気になれない場所です。訪問を思い出すために必要な、最低限度の枚数しか撮影しませんでした。
それでは。
翌日の投稿:
昨日の投稿: