大学の講義にアイヌの方がお越しになりました。
今日は授業の一環としてアイヌの方がお越しになり、自分自身のこと、そしてアイヌの人々のことなどをお話ししていただきました。
話の内容
その方の話によると、アイヌの人々は小学校に入った頃から周りのクラスメートからのいじめが始まるそうです。その方は、いじめに耐え抜くことができましたがその方の兄弟はいじめに耐えかねて学校は途中でドロップアウトしてしまったそうな。
生まれの違いだけでいじめの程度がそこまですごいのですから、学校の外はもっと厳しい差別の目が向けられています。商店の中にはアイヌの人に商品を売らない店があり、たとえ売ってあげたお店でも、彼らにお釣りを投げて返すなどとても同じ人間に対する扱いとは信じられない態度をとっていました。(40年ほど前の話になります。念のため。)
中学校を出たその方は働きに出ることになるのですが、そこでも依然として厳しい現状がその人には待ち受けています。その方はまず、まともに働き口を探しても見つからないと考え、職業安定所に行くことになりました(蛇足ですがアイヌの人のための窓口は身体障害者の窓口と同じだったそうです。この時点で役所の人々の偏見が感じられます)。職業安定所に行けば確かに職業は見つかりそうです。しかし、、、実は職業安定所の方がその方が面接に行った職場の人にその方を採用しないよう脅迫をしていたそうです(例えば、「アイヌの人はもともと身なりが汚いから、職業に就けたとなったとたんに身なりを気にしなくなり、あなたの店はつぶれることになるよ。」など)。そのことを知ったその方は結局自力でバイトが紹介されている雑誌を頼りに自力で仕事を探さざるを得なくなりました。
その方は現在月10万円の手取りの仕事と生活保護でどうにか生活できるレベルを維持しているそうです。
思ったこと
この方の話を思って考えたのは、以前滞在していたベトナムの少数民族のことでした。彼らの多くは山間部に住み、学校教育へのアクセスが多数派のキン族の人たちよりも困難な環境に置かれています。しかし、彼らは1980年代から政府が設置した少数民族のための中学校・高校(「民族寄宿学校」とも)により、キン族の人々と大差ない大学教育進学への道が開かれています。一応関連する本のリンクを貼っておきますね。
それと比較すると、日本政府のアイヌの人々に対する制度が整っていないなと思ってしまいました。親が教育されていなければ、その子供もしかりで最低限の教育しか受けないままになってしまいます。この連鎖が続ければ、いつまで経っても子供は社会的に、そして経済的にも豊かになれません。(てか、彼らも日本人の一員となっている以上、教育レベルも他の「内地」の人と同等にまで引き上がっていないといけないと思うのですが。)
最後に
本来この講義は文化人類学だったのですが、今日の僕の書き口は全くそれとは違いましたね。でもだからといって、文化人類学的な考えをしていないわけでもありませんよ。
アイヌの方が歌ってくれたいくつかの歌、あのメロディーラインは民謡を含めても今の日本にはないものでした。おそらく文化人類学はそのような人々の文化・慣習が統一されて行くにつれて消えていくものを記録していく、そんな学問なのではないのかなと思いました。
今日は少々長くなりましたが、この辺で。
それでは。
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